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電車に乗っていたらバンド風の若者二人が会話していた。
会話の内容はあまり聞き取れなかったが、彼らの会話の中で『運のいい時に実力が無かったら困るじゃん』と言う台詞がはっきり聞こえた。

その台詞を聞いて『ああ。どうしてこういう考えができなかったのだろう?』と思った時点で、いろいろと彼には敵わないんだろうなぁ。

「可能性はあるかないか? ゼロでない限り、常に可能性は “ある” のです。多少や高低など、程度をいうなら蓋然性です。二つの概念を混同してはなりません」

 最近の新聞記事をみると、可能性を possibility ではなく、probability の意味で使っている例が多く見られます。

 probability は普通、蓋然性とか公算と言います。

 見込み、確からしさ、確率ということもあります。

 それがどうしたことか、最近は可能性一本槍になりました。

 新聞は影響力が大きく、用語は正しく使って貰いたい。

 可能性と蓋然性は概念がはっきり別で、混同は許されません。

僕が走りながらいつも考えるのは、他人との勝ち負けはどうでもいいけど、自分との勝ち負けはすごく大事だということ。

走っているとき、つらいときにどうやってそれを克服できるかというと、自分には負けたくないということしかないんです。
昨日の自分よりはもうすこしましな自分でありたいという姿勢。
それはすごく大事なことだと思う。

村上 春樹

 新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」。でもそれはうそです。自分の信じることを貫いてブレークスルーしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない。やりたくないことをやらされて売れたって意味がない。そういった音楽的信念、矜持(きょうじ)を保つ強さがないとプロミュージシャンは長くやっていけないのです。

asahi.com(朝日新聞社):就職・転職ニュース

「職人でいる覚悟」山下達郎が語る仕事-2

(via kogumarecord)

五歳位の男の子連れた妊婦さんが居たんだが、今の揺れがきた瞬間に男の子がジャンパー脱いでお母さんのお腹にかけ、天井を睨んだ。ヒーローって小さい頃からヒーローなんだな
この国には『イヤなものはイヤと言える人が少ない』だけでなく『イヤと言える人のことが許せない人が多い』
Twitter / @illvibe
2011-06-13 (via tessar)
自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。
ブールジュ
2008-06-16 (via reretlet) (via yksk) (via theemitter) (via yaruo) (via sunaon) (via uessai-text) (via bjorz) (via uessai-text) (via saraudon) (via nemoi, hazy-moon) (via usaginobike) (via rockmanjuno) (via kyohei28) (via knnr) (via layer13) (via k32ru) (via mitukiii) (via annikuuna) (via moonage)

あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

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こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。

これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。

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なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。

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そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。

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結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。

学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。これは、本当に本当。答えが出ない時間を受け入れられる。学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。
「最近はデザインわかってないデザイナーもどきが多い」とは言うが、
まあ、そりゃそうなって当然だろうよ。
昨今、実践を通じてデザイナーが育つ場なんか、どこにもないんだから。

今時のデザイナーの求人は、全て実務経験者のみ。
実務経験○年以上が当たり前。
アシスタントなんか募集している会社は、ほぼ無い。
非正規での募集は多いが、まともなヤツはまず応募しないね。
正社員じゃないと職歴(実務経験)扱いされないからね。

つまり今、だーれもデザイナーを育てていないんだよ。
こうしている間も、日本ではデザイナー育成が完全ストップ状態。
後継者なんか期待するなよ? 今後まず現れないだろうから。

実務経験の壁を知っているから、若者はもうデザイナーなんか目指さないよ。
これから零細企業は、残り少ない高齢デザイナーを
死に物狂いで奪い合うしか生き残る道が無い。